明日の千葉を見つめて
活動日記
若手政治家サミット
12/05/19

 今日は、若手政治家サミット参加のため、神戸に来ています。

 若手政治家サミットは、全国若手市議会議員の会と全国青年市長会の共催で2年前に初めて文京区で開催されました。

 今回で2回目の開催となりますが、昨年3月11日に発生した『東日本大震災』は、大地震と大津波そして原子力発電所からの放射能汚染による東日本一帯への壊滅的な大被害をもたらした未曽有の大災害となったことから、一日も早い復興と各地域における防災対策の強化が求められております。

 そこで、平成7年に発生した阪神淡路大震災から見事に復興を果たした神戸市に、全国各地の若手地方政治家が一堂に会し、継続的な復興支援、地域経済の再生と活性化、そして防災・減災意識の高揚の方策など、これからの国政ならびに地方政治の重要課題について考える機会とするため、第2回全国若手政治家サミットを開催することになりました。

 

 開催内容としては、東日本大震災の復興支援、防災・減災をテーマに各種事業を開催するほか、東日本大震災の写真パネル展示や防災・減災意識の高揚につながる啓発を行うとともに、復興支援として、岩手・宮城・福島の物産展に加えて、地域経済の再生と活性化の観点から全国物産展を開催し、売り上げの一部と復興支援協力金を被災地へ義捐金として寄付することとしております。

 我々千葉ブロックのメンバーも開催趣旨に賛同し、千葉県の物産を揃えて出店しました。多くのメンバーが前日から入り、準備をして頂きました。本当にお疲れ様でした。

 私は、少しだけ物産展のお手伝いをして、研修会の方へ参加させて頂きました。

 研修内容は、まず、「リーダーとしての震災復興への取り組み」というテーマで陸前高田市長と尼崎市長による対談形式で行われました。コーディネーターは、全国若手市議会議員の会会長の植條坂出市議です。

 まずは、陸前高田市の戸羽市長から簡単な自己紹介がありました。生まれは町田市で、陸前高田市の食品会社勤務を経て
陸前高田市議会議員に当選。その後、助役に就任し、昨年、前市長の後継として初当選したそうです。市議会議員から助役というのはなかなか珍しくかなりの人望と手腕があったのではないかとこの点だけからも推察ができます。

 続いて稲村市長からも自己紹介があり、学生時代に被災し、自宅は被災していないが、学校は被災したことから、「神戸大学総合ボランティアセンター」を立ち上げ、代表に就任し、様々な支援活動をしてきたそうです。県議会議員を2期経て2010年11月に市長に当選。当時は全国最年少の女性市長だったそうですが、現在は大津市長に譲ったそうです。

 

 最初の質問は、復興計画中のポイントについて、行き詰まっている点などあるかという問いです。

 これに対して、戸羽市長は、昨年の12月復興計画を議決し、期間を8年と設定した。短いという指摘があるが、陸前高田の高齢化率は32%と高く、10年も待っていられない状況である。どこまでできるかわからないが一生懸命頑張りたいと意気込みを語り、一つの例として、防潮堤の建設を計画に盛り込んだが、国に却下された。15mの防潮堤がないと防げない。地方分権が叫ばれる中で、何故地方の意見が却下されるのかと憤りは隠せない様子でした。

 また、今後の目指すべき都市像として景観としての美しさは大事だが、気持ちの美しさを求めたいと述べ、陸前高田は商店街もなくなってしまったが、ノーマライゼーションがなくなる街にしたい。ノーマライゼーションという言葉がある限りは差別が残る。セーブザチルドレンと共同で、子ども意見を取り組み、子供たちが自信を持って陸前高田に住んでもらいたいと熱弁を振るわれました。


  一方、尼崎市の防災対策はどうなっているか、という問いに対し、稲村市長からは、尼崎市は阪神工業地帯の中核を担っており、地下水組み上げで地盤沈下も起きている。これまでは阪神淡路で地震対策は進んでいるが、今回の震災で津波も課題となった。防災訓練と情報発信に課題があり、山側と海側とでは感覚が違う。行政は万能ではないということを認識して今後も取り組みたいと述べました。

 

 次いで、復興に対する取り組む姿勢に各自治体との温度差について、戸羽市長より、一回見にきて欲しい。自分でどういう支援ができるか考えて欲しいと強い口調で述べられました。そして、返す刀で中央政府は現場を知らないと痛烈批判。未曾有の大震災なのに通常のルールでやろうとしている。ルールを作る時間がないから、個別に対応しましょうと提案してきたが、これだと国に大陳情団が行く羽目になる。権限を県や市町村に下ろすルールを作って欲しいと要望されていました。

 元々宮城県沖地震は来ると言われていたが、想定は1~5m程度で二階以上なら大丈夫だと思った。だから、避難した人が被災した。そして、ラジオでは3mと報道が流れたから皆大丈夫と思った。情報は出せばいいというものではない。マニュアルではなく、瞬時の判断が大事。我々の反省と教訓を全国の方に知ってもらいたいと述べられました。

 

 話題を変え、尼崎市の防災意識について、稲村市長より、ハザードマップも絶対安全なのか。洪水対策など普段の災害対策などを日常からどう育んでいくのか。意識は高まっているが、具体的にどうしたらいいのか。弱者救済をどうして行くのか。個人情報の壁を超える方法を現在取り組んでいると課題認識を踏まえながら、今後の方針を語られました。

  また、防災協定について、尼崎市は、いくつかの都市との協定を結んでいるが、関西圏ばかりになっており、これでは広域被害には対応できないことに気づき、競艇で繋がっている鳥取などに、繋がりを求めるともに、特に繋がりはなかったが、現在は気仙沼市をカウンターパートととしていると述べられました。人間は効率よく人間関係を築いているわけではない。行政は効率性を追及しすぎるため、繋がりが薄い。こういった縁を大事に横の連携をしっかりしたいと行政の課題を踏まえながら語られました。

 

 次にボランティアとの連携について、戸羽市長より、陸前高田は津波で市庁舎が流されてしまい、給食センターが仮庁舎となっており、そこでボランティアのコーディネートを行った。ボランティアのコーディネートは、一般的に社協が行うものだが、陸前高田は社協そのものがなくなったので、全部市長のところにきたが、素人なのでコーディネートできなかった。今回の経験からコーディネーターの要請をするのは大事だと反省されていました。

 例として、あるお医者さんが単独で何かお手伝いすることないかと来てくれたが、 県立病院の先生に相談して帰ってもらった。何故なら医療というのはチームで行い、継続性が大事だからで、一回や二回診察してもらっただけでは意味がないという話をされ、そういったシステムは作ってもらいたいと述べられました。

 一方、尼崎市では、ボラセンの立ち上げを検討中。情報や交通の確保を手伝うが、 行政は活動そのものには踏み込まない。行政の強み、民間の強みを活かさないといけない。有事は正解がない。しかし、決断はしないといけない。普段から自分たちで考えるトレーニングを官民共同で行うことが課題と述べられました。


 次に、縦割りの弊害について、 例えば自衛隊がガソリンを運んできたが、給油できなかったとか、農地に仮設が建てられないとかということはなかったかという問いに対し、戸羽市長から、ガソリンがないため、移動する手段がないので、経産省の副大臣が被災地にガソリンを回してくれたが、経産省が出すガソリンだから、自衛隊にいれさせるなというレベルの低さに呆れておりました。まさに国家の体をなしていないと嘆き、お遍路さんにSPをつけるなんて金の無駄と暗に前首相を皮肉り、国民が国を信用しなくなってしまったと述べました。

 戸村市長は、基準がはっきりしないからガレキ撤去が進まないと述べた上で、国会議員が解っていないという例として自民党大島さんに基準をはっきりして欲しいと陳情したところ、8,000ベクレルという基準があると答弁されたが、8,001ベクレルでダメな理由は何か聞いたら答えられなかった。このような問題を解決するには、やはり地方が力を持たないといけないと述べました。

 またガレキ処理に関して、プラントを作りたいということを国へ昨年暮れに要望したところ、何か逆にがれき処理を地元雇用のために抱えているというデマがツイッター上に流れてしまったということも余談ですが、話されました。

 さらに、土砂の中にガラスや不燃物が混入しており、この土砂をどう処理するかも問題になっており、まさか土砂がガレキになると思わなかったという話もなされました。

 いずれにしても、ちゃんと国が基準を作らないといけないと述べらました。

 なお、陸前高田のがれきは大船渡の太平洋セメントで処理してもらっており、、施設を持っているところはいいが、ないところは困っているので、陸前高田だけでなく、岩手県の瓦礫として受け入れて欲しいとのことです。

 稲村市長からは、ガレキ処理について、現在、尼崎市ではガレキ受け入れのタウンミーティングをやっており、キッチリとプロセスを踏まないと思うと持論を述べました。もともと尼崎は公害のまちで、現在もアスベストが問題になっている状況の中で、住民からすれば受け入れていいのかわからない状態であるという。その上、国が信頼されていないので、検討して行こうとなっているが、まだ結論出ていない状況。そのためには信頼が大切で、プロセスを徹底公開していくと述べられました。

 

 最後にメッセージとして、稲村市長より、悪者探しより、自分自身が信頼される自治体をつくるか。信頼がないと効率性を追求してもかえてコストがかかると述べられ、戸羽市長からは、今の政治家は夢を語らなくなった。政治家が発信していかないとジリ貧になる。復興もそうだが、日本全体の将来像を見せないと日本が再生しないと我々参加者を激励して終わりました。

 

 司会の植條会長もおっしゃっていましたが、戸羽市長は奥さんの捜索願いを出さなかったそうです。数か月後、遺体が見つかったと連絡が入ったのは、実は息子さんが捜索願を出していたからだったという話がありました。リーダーとしての姿勢を職員に示すことが大事であると感じました。我々もいざという時に、リーダーとしての示さなければいけないと決意を新たにした次第です。


 続いて、青年市長会の取り組みについて、四国中央市の井原巧市長から報告がなされました。

 パネルディスカッションで戸羽市長がおっしゃっていたように、自分が何ができるかを青年市長会で考え、現地で自分たちで考えて行動するため、勝手に市役所を作った。これが陸前高田市復幸応援センターであると。
 まず、言い出しっぺの松坂市では副市長を3ヶ月派遣し、四国中央市もエースを派遣。京丹後などの会員市から職員を派遣して19市延べ28名を派遣。ただ市長の力ではなく、市民力を活用する方針で進め、例えば、会員63市が1回ずつ陸前高田市の物産展を行うといった支援も行っている。また、四国中央市は子育て支援ネット同士で交流したり、足利市や四国中央市は修学旅行の受け入れたりしている。
 自分で考えることが大事。
 これからの課題としては、戦後は勝手に家を建てて細い路地が残ってしまった。今後の復興計画ではマイナスをプラスに変えて日本一のまちを作ろう。その思いをしっかり受け止めて引き続き応援していきたいと締められました。


 続いて植條会長からは、現地を見てきた報告をされ、その後、青年市長会と若手市議会議員会員による意見交換が行われました。テーマは、「非常時の議員の役割とは」です。

 出た意見はだいたい以下の通りです。聞き漏らしも結構あります。

・市長と議員は役割が違う。
・市長は執行権があるが、議員は議決権しかない。

・地域のリーダー。そのためには防災士の資格を議員が取るとか。

・市民の窓口。行政のことをよく知っている。
・外部との対応。職員が対応するとその間業務が滞る。
・例えば募金の受け取りなど。
・提案としては、非常時には市長部局の傘下に入り、スグヤルカみたいな調整機能を果たす。

・地域のコーディネーター。
・議員の強みと弱み。
・情報収集して行政に届けたり、情報発信。外部とのネットワーク。
・個々の要望を議員が伝えるとかえって混乱が生じるので、一定のルール作りが必要。
・まずは議論を始めることが大事。
・情報弱者対策。
・有事の際の議員の活動を新しいテーマとして盛り込む。
・ご縁を作る。市民を巻き込む仕組み。
・防災会議に議長が入り議会が得た情報をまとめる。
・真岡市では議員が押しかけ災害対策本部を混乱させた。
・議会の防災マニュアル(塩尻市)
・議員はパイロットではなく、CAだという認識。
・議員も被害者。

 以上ですが、だいたいみんなの意見を集約すると、議員の非常時の役割は、情報収集、情報発信のハブという感じですね。個人的には、役割を明確にしてしまうと、かえってそれに縛られてしまい、それ以上の活動をしない議員が出てくるのではないかと危惧しております。議員はやはりそれぞれが自分で考え、地域のリーダーとして活動しなければならないと思います。私もそうなれるよう日々精進したいと存じます。


 青年市長会の参加者は以下の通りです。

・陸前高田市 戸羽市長
・四国中央市 井原市長
・京丹後市 中山市長
・茅ヶ崎市 服部市長
・松坂市 山中市長

・泉佐野市 千代松市長

・尾張旭市 水野市長

 なお、尼崎市長は意見交換には参加せず、意見交換後、石垣市の中山市長もお見えになりました。