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プロフィールProfile


プロフィール

【本名】小川智之
(おがわ としゆき)
【出身地】千葉市
【生年月日】1973年(昭和48年)9月17日
【身長】175cm 【体重】79kg
【血液型】O型
【特技】日本拳法三段・柔道三段・
剣道初段
【趣味】読書(歴史小説等)・
スポーツ観戦(野球・サッカー・プロレス・格闘技全般)・
音楽鑑賞・サイクリング…etc.
【愛車】スズキ スペーシア・GIANT OCR3(自転車)
【好きな食べ物】何でも
【嫌いな食べ物】なし
【苦手なもの】お酒類
【好きな球団】
野球は千葉ロッテマリーンズ、JリーグはJEF UNITED市原・千葉。セ・リーグでは小さい時からカープファン。

経歴

千葉市⽴加曽利中学校卒業
東京都市⽴郁⽂館⾼校卒業
明治⼤学法学部法律学科卒業
藤和不動産株式会社
(現・三菱地所レジデンス(株))勤務
衆議院議員桜⽥義孝秘書
明治⼤学⼤学院ガバナンス研究科修了
(公共政策学修⼠)
平成11年千葉市議会議員初当選
第73代千葉市議会議⻑

主な役職

・ ⾃由⺠主党千葉市連合⽀部若葉区⽀部⻑
・ ⾃由⺠主党アーバンユースネット会⻑
・ 千葉市サッカー協会会⻑
・ 千葉市⼀輪⾞協会会⻑
・ 千葉市空⼿道連盟副会⻑
・ 千葉地区柔道会参与
・ 千葉市剣道連盟顧問
・ 京葉少年野球連盟顧問
・ 千葉市造園緑化協同組合顧問
・ 千葉市⽣活衛⽣協会顧問
・ 千葉市再資源化事業協同組合顧問
・ 千葉市廃棄物リサイクル事業協同組合顧問
・ 千葉市平和公園⽯材商協同組合顧問
・ 千葉市中央区倫理法⼈会顧問
・ 千葉東法⼈会⻘年部会副部会⻑
・ 保護司
・ 千葉市⻘少年相談員
・ 千葉市⻘少年補導員
・ 加曽利中学校区育成委員会理事
・ 加曽利⾙塚博物館友の会参与
・ 千葉⽒顕彰会理事
・ 千葉⽒を語る会顧問

生い立ちHistory


ちょっぴり内気な幼少時代

私は中央区の東本町で生まれたのですが、現在の加曽利町に引っ越した理由のひとつに
私が道の端っこをコソコソと歩いていたのが原因らしいです。自宅の目の前の道路が抜け
道として交通量が多かったので、これでは私が伸び伸びと育たないと父親が心配し、子ど
もが安心して遊べるような環境を求めて引越しを決意したそうです。

また、両親共働きで祖父母と同居していたため、典型的なおじいちゃん子でした。歴史
小説が好きになったのも祖父の影響が強いです。

心身ともに鍛えられた学生時代

運動はそんなに得意ではなかったですが、体を動かすのは好きで、幼稚園からスイミング
スクールに通い、冬にはスキースクール、地元の剣友会で剣道を始めて、町内会の少年
ソフトボールのチームに入り、小学校の部活でサッカーをやるなど、今振り返るとよく
こなしていたなぁと思います。

中学校では、体格を活かして柔道部に入り、高校も柔道を続け、大学では日本拳法部に
入りました。武道は肌に合ったのか、性格的なものなのかわかりませんが、稽古をサボる
ことはなく、毎日練習してました。「継続は力なり」「かいた汗は嘘をつかない」という
言葉は、当時あまりピンときてませんでしたが、今振り返るとこの言葉が血となり肉と
なっているような気がします。

また指導者が常駐していたわけではないので、練習内容についても自分で研究して実践
してみるという自主性も身についたと思います。

これらの運動を通して、忍耐力、自主性、創意工夫、リスペクト精神、ポジティブ
シンキング、どうせやるなら全力でという私の人格形成に大いに影響を及ぼしております。

今に直結する勉強をしたサラリーマン・秘書時代

大学卒業後、マンションデベロッパーの藤和不動産に入社し、営業マンになりました。
営業スキルを身に着けただけでなく、一生で最も大きな買い物である住宅の販売というものは、
ある意味、その方の人生の相談を受けるといった重責を感じるとともに、その方の
購入の喜びを共有することができて、人のために役に立つという喜びを知ることができました。

その後、縁あって、藤和不動産を退社し、衆議院議員櫻田義孝の秘書になりました。
桜田代議士は、「人づくりは国造り」と常に仰っていて、なるべく自民党の政務調査会の
部会などに出席できるようにしたり、様々な選挙活動に出向させたりと秘書たちに勉強の機会を
たくさん作ってくださいました。
おかげさまで櫻田門下生は現在13名の元秘書たちが地方議員になっています。

政治家を志したきっかけOccasion


 私が中学⽣の頃、少年犯罪の増加や凶悪化が社会問題になっていて、教育を⽴て直さないといけないという使命感に駆られ、教員を⽬指したいと思いが強くなっていました。⾼校に上がり、東京の私学に通っていた私は、同級⽣や先⽣からすごい⽥舎から来ているイメージを持たれて、私⾃⾝も⾃分の故郷に対する知識も乏しく、愛郷⼼はあったものの、何となく劣等感を持っていて、⾃信を持って⾔い返すことができませんでした。
 ⾃分の将来について、モヤモヤしていた⾼校2年⽣の冬、ちょうど⽗親の3期⽬の選挙が⽬前に迫り、多くの⽀援者の⽅が出⼊りをしている中で、⽀援者の⽅の地元に対する熱い想い、⽗を⽀援する理由を伺うとともに、「教育を変えたいなら、教員を⽬指すより政治家⽬指した⽅がいいんじゃない?」という貴重なアドバイスをいただき、今まで気づかなかった政治家になるという選択肢が⽬の前に広がったのを今でも覚えています。これによって進学先も決まり、⼤学も法学部か政治経済学部を中⼼に受験しました。

なぜ市⻑を⽬指すのかReason


 私は当選以来、常に「⾃分が市⻑だったら」という発想で様々な提案や指摘、要望等を議会の内外を通じて⾏ってきました。その中では当然実現したものもたくさんありますが、採⽤されなかったものもたくさんあり、正直、議員としての限界も感じていました。

 また、私は⼀般的な議員活動以外にも、商⼯会議所活動や議員の勉強会などの各種活動を積極的に⾏ってきました。おかげさまで、これらの経験で得た知識やネットワークは私の⼤きな財産になっており、本市の現状を議会という⽴場だけでなく、市⺠⽬線、現場レベルでの肌感覚、他市との⽐較など様々な視点から把握することができました。皆さんは、千葉市の現状をどうお感じでしょうか。市全体にわたり活気はなく、中⼼市街地は、その象徴かのように、空洞化が進み、商業地域としての顔は全くなくなってしまいました。
私は、もうこれ以上、この状況を⾒過ごすことができません。

 特にコロナ禍という未曽有の⾮常事態状況下であり、地震や台⾵など⾃然災害も毎年のように猛威を振るう危機的状況であります。

 私にとって市⻑というのは⽬的ではなく、市を良くするための⼿段であります。相応しい⼈が現れれば、その⼈に託すつもりでいました。

 しかし、この危機ともいえる状況の中、益々厳しくなる本市の現状を打破するために、もう待っている余裕はありません。

 私は、特段優れた⼈間ではありません。ただ、千葉市を思う気持ちは誰にも負けないつもりです。この未曽有の危機に対応し、未来に明るい希望を⽰し、本当に住んでいてよかった、こらからも住み続けたいと思っていだけるようなまちづくりを推進するために、気⼒、体⼒、経験、ネットワーク、これまで培ってきたすべてのものを最⼤限に発揮し、今こそ、ふるさと千葉市のために役⽴てたいと決意を固め、⽴候補の意向を明らかにした次第であります。

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